世界一楽しいうつ病の世界

うつ病はすごいんだ!普通の人たちが見ることのできない世界を見れるんだ!楽しもうぜ!!

【1万字!!】詳しめの略歴みたいなの【プロフィール】

うつ病を利用してお金を稼ごうとする悪いやつ、カマスです。

 

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さて、ブログを始めて3週間くらい経つんですが、ずっと自己紹介を忘れていたなと思いまして。

 

「別にみんな僕自身の事なんて興味ないやろから良いでしょ」

 

なんて思ってたんですが、よくよく考えてみたらもし仮に自分が読み手の立場だった場合

 

まずプロフィールを見るな( ;⊙´◞౪◟`⊙)

 

って思いまして。

 

意外と重要なんですよね。プロフ。

 

だって、同じ記事の内容でもどんな人が書いてるかによって全く意味も重みも変わってきますもんね。

 

長くなったので、簡潔なプロフもまた書くつもりです。これはそこにくっつける年表みたいな感じで(自分用メモ)

 

って事でどぞ!!!

 

こんなやつです!!!

 

 

 

 

 

現在

 

2018年2月で仕事を辞め、まずは半年間専業でというつもりで貯金を切り崩しながらブログ開始。

 

目標は、経済弱者になりがちなうつ病という立場でも「自分の力で稼げる」事を証明し、価値は自分で作り出せるということを広めたい。

 

その中で、誰もが強いわけではないこの世界で、弱い者が集まって徹底的に傷をなめ合い、それすらもお金に換えてうつ病や自律神経失調症で苦しむ人たちの中に新しいお金の流れを作り出すことが夢。

 

 

 

出生

 

保育園時代とかから書いてる人はチラホラいたから赤ちゃん時代から書いてやる笑

 

大阪府のとある町に、男3兄弟の長男として生まれる。

 

母親が難病のため、医者から「流産か死産、良くても早産でしょう。」と言われていたが、運よく3分の1の確率を引き当て、早産にてオギャー!

 

未熟児として保育器にて人生1度目の引きこもりを体験。

 

 

未熟児

未熟児

 

難病の母親の血が残っており、全てが自分の血に変わるまでの数週間の間死にかける。

 

 

 

 

幼稚園時代

 

どこにでもいるような遊びが大好きな園児だった。

 

ただ、幼稚園の先生からは嫌われており、口笛を吹いていただけで殴られたり

 

参観日の時に教室の後ろに飾る絵を「下手過ぎる」という理由を付けて捨てられたりしていた。(母が激怒して先生と喧嘩してた)

 

今のひねくれた性格はもしかしたらこの時に形成されたのかもしれない。

 

ストリートファイターに憧れて空手を始める

 

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小学校時代

 

 

同じような事言う人が多いけど神童の部類だった。

 

スポーツ万能、成績優秀、コミュ力満々。

 

何の努力も無しで、塾行ってる奴より成績良かったし、走るのもドッジボールも活躍してたし、クラスではバリバリに発言力があった。

 

小学生のクソガキの分際で女の子にもよく告白とかされていた。

 

そのせいで自分に対して文句がなく、今思うとクッソナルシストで「自分が女なら自分と結婚したい」とか言ってた。死にたい

 

自分の考えを言わないと気が済まなくて、授業中とかはすすんで手を上げて発言したり、学級会とかも大好きだった。

 

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意見を聞かれて、仮に友達と同意見でも「~君と同じです」とは言わず自分の言葉で伝えたい。そんな性格でした。

 

自分の考えを発信するのが大好きで、中でもスピーチと作文が大好きだった。

 

みんなと同じようなものを作るんじゃなく、自分なりの文章や言葉で笑わせたり褒めてもらった時がめちゃくちゃ嬉しくて、一時期は本を読みまくり小説家を目指していたことも(諦めて良かった)

 

小学校時代で1番人生に影響を与えたのは、5年生と6年生の時に担任になってくれた恩師との出会いだ。

 

自分の考えをしっかり主張するため、先生とは馬が合わないことが多かったのだが、その先生だけは僕をちゃんと理解してくれた。

 

上手く扱ってくれたとも言うかも笑

 

感情をすぐ表に出す先生で、よく笑い、よく怒り、よく泣いていたが、僕らの卒業式の時だけは泣いていなかったことをよく覚えている。

 

「教え子の門出に泣くわけにはいかない」だそうだった。

 

その先生は凄く喋りたがり語りたがりだったので、先生たちが僕らに対しての寄せ書きを書いてくれた時に

 

(きっと長文なんだろうな)

 

と思っていると

 

「前進!」

 

とだけ小さく書かれてあって拍子抜けをした。

 

「なんでこんな適当なん?」

 

と聞いた時に

 

「後退するよりは前進する方がええやろ?」

 

と言ってくれたのだが、当時の僕は(適当やな・・・・・・)としか思わなかった。

 

 

 

中学校時代

 

 

 

部活は、小学校の頃草野球にハマっていた流れで野球部に入った。

 

中学でも、勉強は順調で常にクラス上位をキープしていた。

 

そのため、余裕で高校受験も行けると思っていたのだが、中学3年生にさしかかった際、親の強い勧めで人生初の塾へ通うことになった。

 

その塾の入塾テストで、初めての挫折を知ることになる。

 

なんと学校の勉強では天才だと思っていた自分が、ちょっと全国に出てみると偏差値48だったのだ。

 

いくら学校の勉強が出来ても、受験用の勉強となると全くの別。平均にも達していないという現実を突きつけられ、絶望とともに塾通いを開始。

 

勉強漬けの1年を過ごすことになる。

 

その甲斐もあってか、なんと1年で偏差値を20上げることに成功し、一気に偏差値68に。

 

 ただ、勉強のし過ぎで部屋は荒れ、頭はおかしくなる

荒れてる頃

 

 

そしてこの時、身体に異変を感じる。

 

ふらふらとした目眩を感じ、自分を額縁の外から眺めているかのような不思議な感覚が続き、常に眉間にムンムンとした違和感を感じるようになってきた。

 

心配した親が脳神経外科に連れて行ってくれたが結果は異状なし。

 

その後も様々な検査を重ねた結果

 

「自律神経失調症かも知れない」

 

という診断を下される。

 

 

当時は全く知識もなく、ただ一言お医者さんが「学校は楽しい?」って聞いてくれた時に即答で

 

「めっちゃ楽しいです!

 

って答えると

 

「成長期には一時的にホルモンの乱れでこの病気になる方は多いです。学校が楽しいならすぐ治りますよ」

 

と言ってくれた事だけが印象的でよく覚えている。

 

そして、お医者さんが言う通り数週間~数か月・・・・・・というか気づけばその症状は治っておりホっとしていた。

 

今思うとこれがそもそものトリガーだったんでしょうね・・・・・・。

 

 

そんなことがありつつも受験。

 

なんと第一志望の市立を盛大にスベる。

 

ちなみに受験日当日、最寄駅から学校まで歩いているときに凍っていた水溜まりを踏んで盛大に滑って転んで、周りの受験生から「終わったな・・・・・・」って目で見られた事はまだ誰にも言ったことは無い。

 

 

スベったあとはもう全てのやる気をなくし、ゲーム三昧の日々を送る。

 

そしてそのまま、公立の当時まあそこそこの学校に楽勝で入学。

 

 

 

高校時代

 

高校時代は正直、人生で1番輝いていたかもしれない。

 

部活や恋にバイト、絵に描いたような青春を送っていた。

 

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もちろん中学生時代に悩まされた自律神経失調症の発作なども無かった。

 

ただ、1つだけ人生に大きく影響するクソみたいな病気を1つGETしてしまった。

 

その名も片頭痛。

 

これは、俗世間で言う便宜的な意味で使われてる片頭痛ではなく、ガチの片頭痛。

 

市販の薬とかが効かない本物の片頭痛だ。

 

自殺とかした人もいるらしいくらい本当に痛い。

 

今まで自分が味わった痛みの中でこれを超えるものは無いくらい。

 

何度学校を休んだ事か・・・・・・。

 

 

それはそれとして、もともと勉強が出来ていただけで全く興味の無かった僕

 

高校に入ってからは「大嫌いな親父とは違う形でお金を稼ぎたい」という思いが強くなり

 

勉強してサラリーマンになって親父の人生をなぞるよりも、自分自身に値段をつけて、自分の人間力に対しての対価を得たいという考えと、単純にファッションや髪の毛をいじるのが好きだって気持ちがどんどん高くなって来て、美容の道へ進むことを決意する

 

そしてそのくらいのタイミングで個人ブログを制作。

 

とあるブログのブログランキング・学生部門で2位まで上り詰めるほどのめり込む。

 

そしてこの時、数千円だけどアフィリエイト収入を得ることに成功し、1つの稼ぎ方を知る。

 

 

そして、「このブログでランキング1位を取れたら自分に魅力がある証。ファッションの中心地である東京に行っても成功する。」っていう自分縛りをかしてチャレンジするも

 

2位まで行ったところでブログがリア友にバレ、恥ずかしさやらなんやらでブログを消去してしまう。

 

が、東京行きを諦めきれず(まあ実質1位やろ!!!笑)という妥協に妥協を重ね、状況を決意。

 

高校卒業後、東京の美容学校に進学。

 

 

 

専門学校時代

 

完全に勢いと、どっから湧いてきているのかわからない漠然とした自信だけで上京。

 

一人暮らしを始める。

 

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専門学校は、世間一般の美容学校のイメージとは程遠く、まるで軍隊のような学校だった。

 

オシャレや美容室に就職してから役立つ知識などは二の次で、ただただ国家試験に合格させるためだけの学校。

 

そんな学校でした。

 

 

そんな学校の中で、僕は初めてと言っていいほど人間関係で悩むことになります。

 

 

1年生の終わりに、クラス全員が1つの作品を決めてショーをするという出し物があるのだけど

 

それのリーダーにクラスの投票により選ばれてしまった。

 

はじめの頃は「よっしゃ!俺がリーダーになったからには成功させて、みんなに最高な思い出をプレゼントするぜ!!!」なんて調子乗って考えていたのだが

 

蓋を開けてみるととんでもなくドロドロした世界が待っていた。

 

もう自分たちは誰彼構わずキャッキャして仲良しできる年齢を過ぎていたのだ。

 

 

軍隊のような学校と先述したが、これはいかにショーと言えど適応され、外部から講師や演技指導の先生なども呼んで本格的なレッスンが行われる。

 

当然、相手は普段芸能人とかを指導している本物のプロなので怒号や罵声も飛び交う。

 

そんな中で本気で自分たちの出し物を完成させていかなければならず、皆の精神はどんどんすり減っていた。

 

もちろんチームで動けば色んな負担が偏ることも多く、次第に不満の声も大きくなり

 

ずっと仲良しだと思っていたグループが実は裏ではバチバチやっていたりとか、誰が誰を嫌いとか、コイツとはやりたくないとか

 

チームリーダーとしては当たり前のことだけど、毎日毎日、色んな人からの負の感情や愚痴を聞いた。

 

 

これは、今まで男3人兄弟・つるむ友達も男ばかり。そんな男社会の中だけで生きてきた僕にとっては悪い意味で新鮮で、正直完璧には対処しきれなかった。

 

廊下で急に「血尿が出た!」泣きながら絶叫する女子。

 

喧嘩してロッカーをボコボコにして帰る男子。

 

 

毎日が争いで、何度話し合い、和解してもまた次の日には新たな争いがおこる。

 

当初描いていたイベントとは全くかけ離れた地獄のような日常と化してしまっていた。

 

 

結果的には全力で仕上げ、最終的には涙涙のうちにショーは終わり、「カマスがリーダーで良かった」と言ってくれ、サプライズで寄せ書きを貰ったりと色々あったけど

 

これほどまでに無力感に苛まれる数か月は無かった。

 

 

人間力だけで生きてきたと自負してきた自分の人間力、求心力が実は世の中では圧倒的に通用しないんじゃないか。

 

そんな事を考えることも増えていた。

 

 

 

美容師時代

 

念願の美容師になる。

 

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 秘儀・千手観音!

 

喜びもつかの間、ここから本格的に人生の下り坂が始まる。

 

美容室によって異なるが、自分が勤めた美容室は非常にノルマが厳しかった。

 

所謂「今月は何万円分シャンプーや整髪力をお客様に売りつけろ」というものだ。

 

そしてそれをクリア出来なければ、自分の給料から商品を買い、ノルマに充てるというもの。

 

それが出来ない場合は、売れるまで休日に出てきて無賃で営業するというものだ。

 

 

ただ、僕にはそれが出来なかった。

 

高校時代、本当に自分が薦めたいものを紹介してアフィリエイトしていた僕は

 

自分が何とも思っていないものを、あたかも良い商品のように口先だけで勧めてお客さんに売りつけるのがたまらなく嫌だった。

 

そもそも自分が美容室に行ったとき、色々紹介されるのも大嫌いだったし。

 

 

なので、毎月自分で数万円分の商品を買っていたが

 

美容師の初任給なんてゴミである。

 

手取りで言うと8万くらいでした。

 

その中から家賃で5万5千円。

 

それにノルマの3万円だけで給料は終わり。

 

あとは学生時代のバイトで溜めた貯金を切り崩しての生活をするしかない。

 

さらに、美容師なんで汚い格好で仕事をするわけにもいかず、服も買わないといけない。

 

劇的に貧乏となる。

 

働けば働くほどお金の減る日々。

 

 

しかし、美容師の下積みとはこういうものだと割り切って働く。

 

いつか来る華々しい日々を夢見て。

 

 

そんな下積みの日々が数年続き、髪の毛を切ることが出来るようになり、財政難からも多少は逃れた。(ノルマは相変わらず自分で買っていたが)

 

そしてなんと、1度だけだが自分の会社の関東支部で成績優秀者で1位になり、社内新聞にインタビューが掲載された事もあった。

 

このまま自分の美容師人生が始まるんだ。

 

そう思っていた。

 

 

が、そんなある日、関東大震災が起き信じられないほどの人が数日のうちに亡くなった。

 

スタッフにも茨城県出身の人がいて、その人の友人も亡くなった。

 

お客さんの中にも「知り合いや親族が亡くなった」という方もちらほらといた。

 

 

ニュースを見るたび、人々の声を聞き涙を見るたび、それまで自分とは無関係だという風に錯覚していた死というものを意識するようになっていた。

 

人は死ぬ。仲のいいあいつも死ぬし、親も死ぬし、当然自分も死ぬ。

 

当たり前のことが形を持つとこんなにも怖いのかと、初めて知ったような気がした。

 

 

ゆっくりと時間をかけ、日本の時間も動き始め、また労働に戻っても、漠然とした違和感は拭えなかった。

 

自分の行動に果たして意味はあるのかという疑問も湧いてきた。

 

そんな中、さらに追い打ちをかけるように

 

 

自分の担当していたお客さんが自殺をした。

 

 

そのお客さんは20代の女性の方だったが「(あのお客さん最近来ないな)」なんて思って『最近いかがお過ごしですか?数か月来店されていないお客さん向けのクーポンを送ります』的な手紙を出してから数日後

 

そのお客さんのお母さんが来店し、つい先日自ら命を絶ったことを知らされた。

 

本人の口から、うつ病であることは聞いていた。

 

ただ、本当に死ぬなんて思いもよらなかった。

 

 

自信の時と同じ、今ある命はずっとあるもののような錯覚を起こしていた。

 

自分は、担当として何度も会話していたのにも関わらず、一切の無力だった。

 

最後の挨拶もなく、彼女は逝ってしまった。

 

 

おこがましい話だけど、もし自分に何か一つでも彼女が選ぶ道を変えられる何かがあったら

 

もしかして最後合った時に何か1言でも言っていればまた来店してくれたかもしれない。

 

 

そんな考えで頭がグルグル回って止まらなかった。

 

 

 

それからも、普段通り仕事をしていたが、1年目の時から抱えていた接客に対する疑問、立て続けに起こった死を取り巻く情報量の洪水

 

自分自身では気づかないまま、実は相当な負担になっていたのかもしれない。

 

その日は突然やってきた。

 

 

仕事中、急に意識が遠くなり、頭が真っ白になり、その場にうずくまった。

 

このまま死ぬかもしれない。それくらい強い目眩のようなものに襲われた。

 

結果的に、数分うずくまっていれば大量の汗をかくことはあったけど意識を失うことは無かった。

 

 

ただそれ以降、全く話すことが出来なくなったのだ。

 

お客さんに施術をしていても、何も会話が頭に浮かんで来ない。

 

話しかけられても、それに返す言葉がとっさに思い浮かばない。

 

もっというと、表情も作れなくなった。

 

 

本当に急に。何の前触れもなく。

 

その1回の目眩の前後で人格が入れ替わったかのように何も出来なくなってしまった。

 

 

あんなに人が大好きで、喋るのが大好きで、接客以外に生きる道が無いと思っていた自分が

 

何の感情も湧いてこない。

 

それどころか話すことすら億劫に感じるようになってしまったのである。

 

 

それから数日たっても、同じような日々が続き、スタッフからもお客さんからも心配されるようになってしまった。

 

仕事はなんとかやっていたが、1日の中でほとんど口も開かず、ただひたすら無言で髪を切る機会のような人間に成り下がってしまっていた。

 

そして、定期的に訪れる目眩と動悸。

 

これは仕事にならないと医者に行くも、原因不明。

 

 

これはどこかで見た事あるぞ。

 

このふわふわ感。自分を額縁の外から眺めている離人感。

 

これは中学校3年生で受験勉強で苦しんでるときに感じたアレと似ている。

 

もしかして、あの病気がまた再発したんじゃないか。

 

 

漠然とそんなことを考えていた。

 

 

しかし、答えが出る前に、目眩と動悸が日常生活に支障をきたすレベルになってきた。

 

ここでやっと、色んな人とと相談し、数か月悩み、悩みぬいて退職を決意。

 

しばらくは関東にすがりつこうとバイトもするが、どうしても体調があっかするばかりでロクに働けず、ついには資金が尽きてしまい

 

実家に1度戻ることを決意。

 

6、7年過ごした関東から逃げるように大阪へと戻ってきたのである。

 

 

 

1度目の無職期間

 

 

1人暮らしをしていた部屋を引き払い、家具も全部売った

 

全てにやる気をなくして、大好きだった服とかも全部捨てた。

 

そして実家に逃げ帰ってきてからは、とにかくまずは体調を治そうと必死だった。

 

 

町医者に行き、総合病院に行き、脳のCT、心臓のエコー、甲状腺の検査、色んな精密検査を受けた。

 

しかし、1番の悩みの種である目眩や動悸の原因は一切わからずじまいだった。

 

最終的には『ストレス』という結論で検査は打ち切りになっていった。

 

とはいうものの、身体の症状は良くなるばかりかどんどん進行していく。

 

目眩や動悸に加えて、吐き気や関節痛。咳も止まらなくなった。

 

リアルに「このまま死んでいくのだろうか」と考えていた。

 

 

がしかし、そんな生活をしていると、仕事をしていなければガンガンお金は減っていく。

 

保険や年金もちょいちょい滞納し

 

気が付くとほとんどの貯金が消え、働かざるを得なくなっていた。

 

 

その焦りから「ストレスなら厳しい環境に身を置いて逆にショック療法で治してやる」という最悪の一手を踏み出してしまう。

 

 

営業マン時代

 

厳密には営業をメインでしていたわけではないのだが、業種としては美容系の営業の会社に無理矢理就職。

 

自分は体育会出身だし、この体調が悪いのもちょっと自律神経が狂ってるだけ。

 

精神的にはノーダメージだ。

 

 

ここで昔の自分を取り戻す。

 

と、息巻いていた。

 

 

が、このロクに調べもせずに入った会社がとんでもないブラックだった。

 

今時、ブラックじゃない会社の方が珍しいと思うので、足枷の鉄球自慢をするわけではないが、ざっと羅列すると

 

・サービス残業、終電は当たり前。泊まり込みもしばしば。

 

・恫喝・パワハラが酷い。

 

・休日も、前日に社長の気まぐれで出勤になる(当然給料は出ない)

 

・筋トレと称して、無理矢理吐くほどめちゃくちゃハードなトレーニングを強制される(業務とは関係ない)

 

・飲みに行ったら後輩が先輩に強制的に奢らされる

 

とまあめちゃくちゃだった。この辺はまた詳しく書きたい。

 

これだけなら我慢できた(今なら我慢しないけど)が、自分がどうしてもてられなかったのは暴力である。

 

先輩から後輩への暴力が普通にまかり通っていた。

 

自分に直接的な被害は無かったが、自分の目の前で代わる代わる色々な人が怒鳴られ、殴られているのは一番心に堪えた。

 

きっと、自分の父親がDVマンだった事が関係しているのだろう。

 

自分は、大声で怒鳴り、手を出す男が1番嫌いだ。

 

 

そんな職場で、毎日毎日自分の仕事をやる間もなく、先輩がどんどん自分の仕事を振ってくる。

 

完全に便利屋と化した自分が、自分のノルマの仕事をこなすには残業や休日出勤しかなかった。

 

ストレスからなのか、職場にいると1日中動悸を感じるようにもなっった。

 

辞めたいと何度も思った。

 

が、ピークに比べると正直少し目眩や体調も落ち着いてきていたし「ここで辞めたらまた自分に負けたことになる。」という謎の意地が邪魔して、我慢に我慢を重ねて仕事をしていた。

 

そんなある日、またもや急に体調に変化が訪れた。

 

PCを使って作業している時、急にふっと集中が切れたかのような感覚に陥った後

 

ぱったりと文字が読めなくなったのだ。

 

 

具体的に言うと、文字を見てそれを文字だと認識できても、それが絵や記号を見ている感じになって全く意味が頭に入ってこない。

 

何度も何度も1単語ずつ頭から読み返して、なんとか1文読み終わるという感じだ。

 

文節ごとにしか意味を理解できない感じ。

 

 

この時はさすがに自分でも「ああ、壊れたんだな」って思った。

 

 

 

うつ病と診断され、寝たきりの日々へ

 

 

 

文字が読めなくなって数日後、脳腫瘍とかでもそういう症状があると聞いて怖くなって脳神経外科へ。

 

そこで検査を受けるも脳的には健康そのもの。

 

ダメもとで身に起こっている症状を伝えてみるとやはり「ストレスでしょう」と一言。

 

が、ここで生まれて初めて心療内科・精神科へかかってみることを提案される。

 

 

はじめ、自分にとってそれはものすごくショックだったことを覚えている。

 

精神科、というものは自分の人生にとって異質な存在だったからだ。

 

生まれてから20年以上も、所謂『陽キャラ』として過ごしてきた自分にとってそこは闇そのもの。

 

昔の自分の中で精神科は『弱いやつがいくところ』であり『気持ち悪い』ところだった。

 

が、ショックなんて言ってられなかった。

 

毎日が辛く、少しでも症状が楽になるなら何でも良かった。誰でも良かった。

 

何か縋るものが欲しかったのだ。

 

 

迷いはあったが、親戚のおばさんに紹介して頂いた大阪市内の心療内科へ。

 

そこでの詳しい流れは割愛するが、結論を言うと、数回の通院の後に『うつ病』との診断を受ける。

 

 

そして僕は、2度目の無職となった。

 

 

 

無職になってからは、自分の境遇を呪い、怒り、悲しみ、全てが濁って見えた。

 

・・・・・・のも数日。

 

気が付けば何もかもどうでも良くなっていた。

 

このまま実家に寄生して飯だけ食って生きていくならそれでも良いし

 

親がそれはダメだと言うなら死ねばいい。

 

自分から進んで死のうとまでは思わないけど、死ぬならそれはそれで良いっか。くらいの気持ちだった。

 

寝て、寝て、寝まくった。

 

眠れなくても、薬を飲んで無理矢理寝た。

 

動ける日は、酒で薬を流し込んでひたすら寝る。

 

 

お金があっても仕方ないと思った。

 

保険も、年金も、住民税も全て滞納し、貯金が尽きた後もクレジットカードのキャッシングで数十万円を引き出し、差し押さえが来ない程度の分だけ払っていた

 

そのころの記憶は、すっぽりとほとんどが抜け落ちている。

 

何も考えずに、寝て起きてはぼんやり天井を眺めているだけだった毎日は、脳が記憶として認めてないのだろう。

 

気付いた時には恐ろしいほど早く時間が過ぎていた。

 

 

うつ病で、無職で、借金があって。

 

おそろしいほど底辺な自分を笑う日々。

 

 

 

本当のきまぐれから1歩外へ

 

 

自分には、寝たきり状態になる前にハマっていたスマホゲーが1つあった。

 

ゲームのツイッターアカウント等も持っており、ありがたい事に何人かやりとりして下さる方もいた

 

そんなゲームのランカーたちが、大阪に来てオフ会をするらしいことが分かった。

 

自分も、一時期だけそのゲームを本気でやっており、多少の戦績は残していたので、参加出来るならしてほしい旨のDMを頂いていた。

 

いつもなら、一笑に付すDMだったが、なぜかその時だけは無性に心奪われた。

 

 

このゲーム内でもツイッターでも華やかな生活をしているランカーたちは、どんな奴ら何だろう。

 

という漠然とした興味と、今でもわからない何か不思議な力に呼ばれたかのようにフラフラっと顔を出すことに決めた。

 

 

もちろん無職とは言えないので、適当に身分をごまかし、借金からオフ会代をひねり出し、飲み会に向かった。

 

 

そこで、久しぶりに人と会話することになる。

 

 

会話内容は、初対面なので当たり障りのない事だし、ゲームの話がメインなのだが

 

不思議と心に火が灯るのを感じた。

 

 

それは、キラキラとした表情を浮かべて語るランカー達への羨望があったのかも知れないし

 

「お前らばっかり楽しみやがって」という恨み節だったのかもしれないし

 

正直その時の感情は分からないけど

 

仕事中、急に文字が読めなくなったような感覚と同じように

 

急に心の中に自分のやるべきことが芽生えた。

 

 

自分は、人との繋がりの中で生きていきたい

 

出会いと別れの中で研磨されながら、死ぬまで成長を続け、自分だけで無い誰かの人生にも軌跡を残したい。

 

その思いはどんどん強くなっていき

 

 

1度目の転職とは違い、自分のやりたい事へと向かって転職活動を再開した

 

 

転職活動で挫折の嵐。そして製造へ

 

 

自分の気持ちとは裏腹に、世間は厳しかった。

 

うつ病だという事、そして履歴書の空白期間、技術のブランクが僕に転職を許さなかった。

 

面接まで行けば、絶対に受かる自信があったのに、書類で全部落とされた。

 

美容学校で働き、生徒を育成して様々な出会いを経験するという願いは簡単に打ち砕かれた。

 

結論を言うと、大阪で求人が出ていた全ての美容学校に書類を送るも、書類選考でアウト。

 

良くても、転職エージェントとの話し合いの中で空白期間やブランクを理由に落とされた。

 

 

気持ちで諦めることは無かったが、現実は非情なもので、借金すら返済できない状況になってきて、100万円の借金を残し、口座残高3万円になってしまった。来月の給料が入らなければ終わる。

 

その状況までもがいたが、完全に自業自得。ここで現実に負け、まずは借金を返そうと製造の仕事に就職。

 

ギリギリ事なきを得て、借金返済の日々が始まる。

 

 

 

 

製造時代~意気込み

 

一切やりたくなかった製造の仕事

 

夜勤も含まれていたので、1か月にだいたい30万円以上は稼げた。

 

1か月に手取りの半分ほどの借金をまとめて返済。

 

約1年弱で完済する。

 

この時、『借金をする恐怖感』は失われた。どうとでもなるのだ。

 

うつ病になっても何とかなることが分かったし、借金をしてもどうにかなる。

 

それがわかれば無敵である。

 

何とかなるのである。

 

 

そしてそこからは資金集めに切り替える。

 

この頃、本格的にやりたいことに目を向けるようになる。

 

オフ会の帰り道でふと思いついたようなやりたい事ではなく、自分の人生を通して、ゆっくり考えた上でのやりたいことを。

 

 

そうなると、自分が人生で1番苦しんだうつ病や自律神経失調症に関する仕事をしたいというのは避けようがなかった。

 

ただ、方法が分からなかった。

 

例えばうつ病支援団体に入ったところで、正直今の世の中信用できない。

 

どこでいらないお金が吸い取られているかわからないし、利用されてるかもしれないのだ。

 

 

そして、全く寝付けなかったある夜中の事、ふと天啓が下りたかのようにこのうつ病や自律神経失調症で悩む人たちの中でお金を循環させるシステムを思いついた。

 

これはいけると思った。

 

全員が現状より1つプラスになるシステム。

 

うつ病やその他の精神病を食い物にしているメディアや評論家、医者に騙されず、確かに自分の目の届く範囲の人を少しでも幸せに出来る方法が。

 

 

何より、どこにもお金をピンハネされることなく、自分の目の届く範囲の人に届けられる。

 

 

そこからはいつやるかの勝負。

 

 

そして時は来た!

 

2018年2月15日、僕は仕事を辞め、こうしてブログを書いている。

 

実は潤沢な資金の元始めるつもりだったのだが、コインチェックショックで多額のお金を失った。

 

元手は無いけれど、先延ばしが一番怖い事だと学んだ。

 

当初思い描いてた、初めから羽振りよくとはいかないし、バイトをすることになるかも知れない。

 

ただ、ゴールは変わらない。

 

1年後、数年後、1人でも多くのうつ病の人の笑顔を引き出せたり、ありがとうという声を聞いた耳になれるよう、頑張っていくつもりだ。

 

 

頑張るのは俺だけでいい。

 

みんなは見守るだけ見守っておいてほしい。

 

みんなに見守ってもらえることが、元気になり、戦闘力になり、お金になり、さらにみんなの幸せになる。

 

「後退するよりは、前進の方が良い。」

 

それを目標に、僕は歩いていきます。

 

 

ここまで読んでくれてありがとうございます!!!

おつかれ~~~byカマス

 

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 加筆、修正は適宜やっていきます。

最終更新日 2018/3/8

 

 

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